フタバ 御飯の友 | 九州あるある大辞典

フタバ 御飯の友

フタバ 御飯の友 ふりかけの元祖は御飯の友だった。

御飯の友といえば熊本人にはもっともなじみの深いふりかけ。
家庭の食卓以外にも、学校給食のふりかけといえば小袋タイプの御飯の友だった。

ふりかけの起源 三島食品資料館

「ふりかけ」がいつの頃、何処で、誰によって考案されたものなのか?
ルーツを調べてみても詳しい資料はないが、日本食糧新聞社発行の食品工業事典などによって、東京・広島・熊本と三つの元祖があるということはわかっていた。

熊本、株式会社フタバの「御飯の友」の歴史は大正の初期、熊本市で薬剤師をしていた吉丸末吉氏によって考案され、その後昭和9年に二葉商事(現株式会社フタバ)が引き継いでいる。

東京、丸美屋食品の「是はうまい」は大正14年、甲斐清一郎氏が福島市で作り出したと記録にある。
また、広島の「露営の友」は昭和3年小松原要助氏が作り軍隊に納品している。

東京の「是はうまい」の考案者は甲斐清一郎氏で福島市で食品の販売を業とするかたわら、食品の研究に没頭し、白身の魚を乾燥させ、昆布の粉末を混ぜ醤油と特殊な調味料で煮込んで乾燥させ、これに海苔・煎りゴマなどを入れた「ふりかけ」を作った。
味が大変うまかったので「是はうまい」と命名し売り出したのが大正14~15年ごろだった。

発売当初の御飯の友 甲斐清一郎氏はこの商品を持って東京へ進出し東京荒川区で丸美屋食品研究所を興し、「ふりかけ」の製造販売を開始したのが昭和2年だった。

以上の記録は故阿部末吉氏が現丸美屋食品工業株式会社の社長だった頃、小冊子に書かれている(昭和51年10月著)。またこの記事の中で甲斐清一郎氏は熊本の出身と記してある。

「御飯の友」考案者吉丸末吉氏は薬剤師をしていて、カルシウム不足を補うため、小魚を乾燥させ粉末にして調味し、青のり・煎りゴマなどを加えて作ったのが大正の初期、熊本市新町で製造を始め、その後昭和9年に二葉商事(現株式会社フタバ)が引き継いでいる、と株式会社フタバ会長鳥越正男氏の記事がある。

甲斐清一郎氏が熊本の出身となれば、筆者の推察であって定かではないが、大正時代に熊本で薬剤師吉丸末吉氏とは何らかの接触があり、面識があったのではないかと思える。東京の「是はうまい」は甲斐清一郎氏が大正14~15年頃商品化しており、熊本の「御飯の友」は大正の初期に発売している。広島の「露営の友」は昭和3年軍隊に納品していたと記録がある。

三つの元祖の経緯年代の記録を見ると元祖は熊本の吉丸末吉氏が有力となり、ビンの容器に入れて湿気を防ぐためコルクの栓をして蝋で固着させるのは薬品のビン入りでは使っており、それを「ふりかけ」にも応用した発想は薬剤師であった吉丸末吉氏の考案と思える。

平成6年の全国ふりかけ協会の総会で「ふりかけ」の元祖は、熊本二葉商事の吉丸末吉氏の考案と全員承認することになった。

楠苑 三島食品資料館 より抜粋

あの「のりたま」で有名な丸美屋のふりかけも、ルーツは御飯の友だったというのは驚きだ。

昔から変わらない味でおせじにも「めちゃくちゃうまい」とはいえないが、それは栄養やカルシウム不足を補うために作られたものだからであろう。
筆者の実家にも昔からワンカップ大関のような瓶に入った御飯の友が置いてあった。
またフタバといえば白菜の浅漬けを簡単にキムチ風にする「朝鮮漬の素」もある。

御飯の友本舗フタバ・ふりかけの販売 株式会社フタバのホームページ

フタバの歴史 ふりかけのルーツをたどると薬剤師に行き当たった